これまでの生き方をざっと振り返ると、
やっぱり自分は常に集団行動ができない人生を歩んでそうなんですよね。
小中学生のころから、大勢の友だちとつるむ行動はほとんどしなかったと
記憶してます。
クラスや部活でも、大きな輪に入って会話をすることは超苦手であり、
勉強や練習も一人で黙々とこなしておりました。
集団行動の仲間も、多くて3~4人。それくらいの小集団でないと、自分の
立ち位置が確立できませんでした。
こんな人付き合いが悪い者なので、大集団に属する人にとっては格好の
うっぷん晴らしの標的になっちゃいますね。
また当時は学校自体が非常に荒れてたもので、いじめや仲間外れが
横行しており、その対象になったこともしばしばありましたね。
ぼくはそこまで酷い目には遭わなかったものの、いじめが酷くて学校に
来なくなった人もいました。
当時の学校側の対応も、今思うとなんにもしてなかったと思います。
他人事で済ませる風潮でした。
はっきり言って、いやな思い出の方が多かったと思ってます。
こんな感じなので、出身を訪ねられた場合、一応「〇〇です」と答えは
しますけど、わたしは決してその地に愛はありません。
当時の同級生もおそらく大人になって、さすがに今はそんなことは
しないでしょうが、被害に遭った人の記憶なんて消え去る訳はなし。
同窓会の案内も全く来ませんが、仮に来ても出席することはないでしょう。
心の狭いやつ、って思われてそうですが、これがわたしの個性です。
日本人の文化って、多くの人が集団に属したがって、その集団に
属することが正義、と考える期間が長かったですね。
教育も、そうあるべき!って感じでしたし。
集団の中でうまくやるための気の遣い方、なんてことを教え込まれたり。
ほんとうに個性重視なんてされるようになったの、つい最近ですよね。
こう歴史を振り返ってみると、
どっぷりと旧来文化で育って来たわたしなんぞ今回休職に追い込まれたのも
なるべくしてなったように思えます。
けど、もう復帰したところで身内以外に頼れるものなんて期待しないし、
自分が信じた目標を心に念じながら生きて行こう、と思っております。
復帰後、企業活動に従事する以上、
共通の目標に向けて自分がなすべきことは誠心誠意で取り組む。
しかし、
気を遣って、背伸びして、
身を削って、いろんなものを犠牲にして、
期待されてる以上のことをやろうとして献身なんてことは、無駄。
もうこんな価値ない無駄なことはいたしません。
自分の個性を活かせられるために自分に投資するような人生を、
これから先は全力で送りたいと思います。
コメント