親族を交通事故で失うことって、こうも辛いとは。

適応障害との格闘

先日交通事故に遭って入院していた父が息を引き取りました。

いまはただ無念な気持ちでいっぱいです。

交通事故から2週間、病院より容態急変の連絡あり。

横断歩道を歩行中、右折してきたバンに跳ねられ、頭を打ち付けてしまって救急車で病院で搬送。

事故直後の病院からの話ですと、意識はあり話もできてそうな雰囲気。それほど大事ではなさそうに思っておりました。このときは気楽に構えておりました。
「きっと、すぐに元気に帰って来てくれるに違いない。」

ただ、感染症対策で本人に会うことができないもどかしさを抱えておりました。

病院とはときどき電話で本人の様子を伺っておりましたが、
「脈拍が思ったよりも安定しない。意識も朦朧としてる。」
との話で、日に日に不安が増長。
それでも最後はきっと元気になることを信じながら、祈りながらの生活。

そして事故後2週間、仕事中に病院から電話あり。
「非常に危ない状態。」

看取ることができませんでした。

急いで仕事を切り上げ、家族とともに病院に向かいました。

わたしの居住地は実家から少々離れた場所。こういうときにはこの距離が辛く思えてしまうものです。

間に合うことを信じて急いで向かったものの、次の電話は先に着いた親族からのもの。
「既に息を引き取った。」
ということでした。

看取れなかったことの無念さがこみ上げてなりませんでした。

死後1週間は後処理に忙殺、振り返る暇なし。

到着して会った父には、もう声はなし。

「やっと会えたね。」
と声をかけるのが精いっぱいでありました。
ついこの間まで元気に話していたのに、ほんのわずかな出来事でこうなっちゃうとは、あまりもの無情さです。

しかし、亡くなった直後は葬儀や手続きなどが非常に忙しく、しみじみ感じている余裕はほとんどありません。よく噂には聞いていたとおり。一気に突っ走っていたように思えます。

落ち着いてから振り返り、現在ようやく実感してます。

当面の処理は落ち着き、久々に自宅に戻って来ました。

ほっと一息ついたところです。

先に帰宅していた家族からもらった労いの言葉が心に染み入りました。

夜こうやってブログを書きながら、
「あの父はもういないんだな」
って悲しみが急に湧き出ている現在です。

親族を交通事故で失うこと、これが現実のものとして自分の身に降りかかって来ようとは、信じがたく耐えがたい思いに苛まれております。

もう少し落ち着いてから、くわしい状況を書き留めて行きたいと思います。

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