「開き直っていきますね!」 ~ 女装と闘病のふりかえり(02)

女装ライフ

みなさま、こんにちは。いつもブログを訪問くださり、ありがとうございます。

これまでや今後の人生を考えたり、最近の様子や思ったことなど、自由に綴らせていただいてます。前回のお話も、もしご興味あればお立ち寄りいただけましたらうれしいです。

今回は、わたし自身のメンタル障害との付き合い方について、書かせていただきました。

メンタル障害って、根が深い

復職を果たして1年あまり経ちました。ひとまずは落ち着いた状態でおります。

周囲の方々からすると一見もとに戻ったようにも見てくれてそうです。が、自分としては完全なスッキリまではまだまだ行き着いてないように感じてます。

心の奥で何か自分にしかわかりえない違和感が常に疼いてる状態、とでも申しましょうか。
それでもひと頃に比べると、おかげさまでかなり元気に過ごさせていただいてます。

休職生活

いま感じていること、細かく言い表すのは難しいですが、一言で言えばこの言葉に尽きそうです。

「メンタル障害って、根が深い。」

これはほんとうに身に染みて感じてます。もう自分の思考回路が完全変換でもされちゃったかのような...。

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未だに残る発作的な感情

ほんとうに、大半の時間は通常の会社員生活を普通に過ごせるのですが、未だに忘れた頃にときおり軽い発作的に症状が出るのですよね。

酷かったときに比べると頻度は激減しているものの、ときどき嫌な思い出が頭の中をふと過ってしまうのです。

わたしの場合、例えば誰もいない家の中で、掃除など一人で集中して作業に取り組んでいる場面で起こることが多いです。手を動かしながら思い浮かんできちゃうのです。

あるときは、休職に至る直前のパワハラを受けていた当時のことだったり。

あるときは、幼少期にいじめのターゲットとされたときのことだったり。

あるときは、青臭かったころの自分の言動のことだったり。

などなど。

けど、苦しくなるのはここから。
いったんこういう状態が始まってしまうと、だんだんと自分自身への悔悟の念が深まっていくのです。

「あのときの自分は、どうしてあんなことをしてしまったんだろう?」
「もっと考えて行動できなかったのだろうか?」

と、まぁこんな感じの感情が巡ってきちゃいます。

やがてはそれが、自分自身への苛立ちにまで沸き上がり、苦しみへと増長して行きます。

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一瞬だけとても見苦しい言動として表現してしまうということも、しばしば。(誰もいない場所でのことなので、許してやってください。)

脈絡もなく、ただ嫌な思い出だけが次々と浮かび上がってきちゃう、まさに思考の負の連鎖。四方を見えない壁にでも囲まれてしまったかのような、非常に辛いものを感じてしまうことになります。

心の奥に悲観的発想がこびり付いてしまっている自分の現状を自覚してしまって、しばらくはうんざり状態に陥ってしまうのです。

結局は自分の性分の結果かと

さて、こうなってしまう根本的原因を考えてみますと、わたしが生まれつき持っていた性分が大半のように思います。

いわば、心に潜在していた本質が病を発したことによって顕著に現れたものなのでしょう。


コミュニケーション下手のために、他人との接触を無意識に避けて生きて来た、これまでの自分。それ故、自分の心を開くスキルを養う場を得ることなく、ここまで来たように思います。

心を閉ざすことがマイノーマルとなっていたのでしょう。自分の居心地のいい場所を求めつづけ、走った行き先としてここに辿り着いたようなものですね。

自業自得と言うか、自らが招いた災いであるようにも思えてしまいます。

なにをしていたら病まずに済んだのかな?

だいぶ暗い話になっちゃいましたけど、まぁ、今さら生き方を悲観しても意味なし。この事実を受け入れ、悲観に暮れずうまく付き合って行くしかないかと思います。

ただ考えるのは、

「果たしてわたしはいったい、予めなにをしていれば、病に陥ることなく普通に過ごせていたのかな?」

ということ。病むより病まぬ方が、無限大に幸せに過ごせますからね。自問自答することがよくございます。

冷静に自分を省みるとなにか見えるかも

自分がなにをするのが最善なのかな?、と考えても、模範解答なんてあり得ませんよね。どれだけ自分自身を熟知していようとも、思いひとつでいかようにも変わっちゃうことは誰にでも知れたこと。

最善はわからずとも、どんな取り組みをしていたら、また違った人生を歩めていたのでしょうか?

「...?」

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答えはおそらく、いままでの自分の生き方を省みたところにあろうかと。

結論は「悩まず、恐れず、開き直る」かな?

自分自身と言えば、とにかく表現することが苦手で恐くて避けて来た人生だったかな?

なにか後ろ盾でもないと、なかなか堂々ともの申せぬような感じでございました。

趣味の女装も同じ。常に誰かに見られることを恐れながら、一人でコソコソ楽しんでいるような感じでしたね。

こういった積み重ねの上に、いまのわたしが存在している。

...ということは、よく言われることながら、
”一人で悩んで過ごしている現状を自ら突き破る勇気を持つこと”
が、上手な生き方のポイントなのかな?

簡単に言うようで、この難しさはわたし自身、よく実感しています。

けど、一人で悩むことは厳禁、これは自信持って言い放てますよ。

悩まず、恐れず、開き直りましょう。

既に50代半ばを過ぎたいま、やっと見えて来た感じがしており、残る人生はこれを肝に銘じてたのしんで行きたく存じます

もし、わたしと同じような状態に陥ってらっしゃる方がこれを読んでくださってましたら、偉そうに言っちゃって申し訳ないのですが、これだけは言わせてください。

「どんなことでも決して一人で抱え込まないよう、なんでも吐いちゃえる自分なりの場所を持ってくださいね。」

開き直らせていただきますね!

またクドクドと述べてしまいまして、失礼いたしました。

何はともあれ、いろんな意味で開き直って楽しんで行けるよう、チャレンジしていきたく思います。

自分は他人からよく見られているように感じてしまいますが、実際は思うほど他人はそれほど自分のことなど気にしておりませんからね。

これからもどうか、よろしくおねがい申し上げます。m(_ _”m)

もしよろしければ続編も読んでいただけますと、とてもうれしいです。

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