生き方がまっすぐ過ぎる、と非難されたことを思い出して

休職生活 適応障害との格闘

冷静さを取り戻した現在、ストレスに藻掻いて苦しんでいたときのことをときどき思い出すことがあります。

今回も当時にかけられて腹が立ったことばを、振り返ってみました。

休職前に言われたことば

適応障害に陥って休職を強いられる前に、職場の人から言われたこんな言葉を急に思い出しました。

「あなたの生き方は、まっすぐ過ぎてダメなんです。」

言われたときは全く意味が理解できず、悩んだものでした。

生き方がまっすぐでなにが悪いの?

とにかく当時は心理的にぼろぼろでしたから、物事を冷静に考えられません。

あの人がなにを思ってこのことばを言ったんだか、真意を聞いた訳ではないのでわかりません。もちろん、話をしたいとも思いません。あの人のことは未だに思い出しただけでも腹が立つことがあります。

まっすぐ生きるのが本来の生き方、それのどこが悪いの?

自分が生き抜いて勝ち抜くために心理戦を仕掛けて隙を突いて這い上がる、そんな態度が胸を張れるって言ってるの?

なんでそんな恥知らずな生き様で、まっすぐに生きてる人を非難できるの?

謎が謎を呼ぶばかりで、さらに深みに嵌って行く感じでした。

第一線から一歩引いた、いま

いろいろ苦しんだ休職期間から抜け出して、現在は社会復帰を果たしております。

復帰後はかつてのストレスもない職場に異動させてくれてます。さまざまなものを失った一方、得るものも得られ、新たな一歩を踏み出している感じです。第一線から一歩引いた形で、生きながらえております。

こんないま、さきほどの当時のことばが急に思い浮かんできました。

じっくり何度も読み返して思うこと

「あなたの生き方は、まっすぐ過ぎてダメなんです。」

じっくり何度も読み返してみました。

なんとなく、わたしのことを心配してのことばであったようにも思えてきました。

雇われ人である以上は、自分の意思を殺して上層の指示に従わねばならないのは筋ですよね。

なにせ雇われている身分ですからしかたないですよね。

会社とは、世の中で事業を営み利を得るために、集団として意思統一して臨まねばならぬもの。そこで雇ってもらっている身分である以上、個の意思を殺し集団に従わねばならない部分が生じるのはやむを得ぬこと。

事業として大きな目的を果たすためには、大勢で結集して臨むこと、これができる人が評価されるものかと思います。

当時のわたし、過大なストレスのためか、自らの意思を大事にして周囲が見えなくなっていたのでしょう。そんなわたしの行動に対して、

「それじゃ過小評価されかねないよ」

という警鐘だったのかもしれませんね。

しかしまだまだ素直になれず

時が経って思い付く、こんな自分の未熟さ。

きっとこの先も、いろいろ思いが出てくることでしょう。

かと言って前述の人に対して許せる気持ちはまだ起きません。

わたしが頑固なせいなのか、理屈で理解できようが、心の傷は癒えないものなのです。

こんな苦闘が一生続くんでしょうね...。(微笑)

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