[休職中の生活]休まらない心に悶え苦しんだ思い出

適応障害との格闘

診断書をいただいて休職開始

主治医の先生からは病名(適応障害)と「2か月の休務を要する」と書かれた診断書をいただき、周囲からも協力をいただいたおかげで、仕事を休職させていただくに至りました。

さて、これでしばらくは会社に出勤しなくてもいい状態。
丸一日、なにをやっても自由。
心を解放ししっかり休ませる生活。
これでたまりにたまったストレスを低減させてあげられる。
そして2か月後には、また仕事をがんばろう。

...と、この時点ではこんな目論見でいたのですが、当初はこの病気を完全になめきっていたのでありました。メンタル障害と診断された経験がない者にはきっとありがちなのでしょうが、この病気を完全に甘くみてしまっておりました。

休み始めの辛い日々

休み始めた初日から、わたしは病気の辛さを思い知ることになったのでした。

家にいていいはずなのに、ふだん出社する際に家を出る時刻になるころから心がそわそわして来ます。心の中は既に仕事のことを考えていっぱいです。
「早く出社して遅れている分を取り戻さなきゃ。」
「休んでなんかいられないはずなんだから、早く治して出社できるようにしなきゃ。」
「こんなに休んでしまって、職場の仲間にほんとうに申し訳ない。」
こんな言葉が渦のように頭の中を巡り巡っていきます。

なので、休みであっても休まることなどあり得ません。新聞を読んでいようが、テレビを観ていようが、ジョギングしていようが、仕事のことしか頭に浮かばない毎日。

主治医の先生からは『草むしり』など無心での作業を行うことを勧められていたので、自宅の庭や家庭菜園で雑草をひたすら行ったりしておりましたが、その作業中でさえ
「本当はいまごろは勤務時間なんだよなぁ。なんで自分はこんなことしてるんだろうなぁ。」
などと嘆きの気持ちが出て来てしまいます。

不眠症状が酷かったので睡眠薬も処方してもらいました。飲むとかなり眠れるようになるのですが、どういうわけだか薬を毎日飲むことさえも躊躇ってしまうのです。
「薬に頼っているようじゃ、回復が遅れちゃう。」
といった、根拠のない自分勝手な思い込みから、時々しか飲まない日々でした。なので、飲まない日は当然眠れず、また仕事のことを考えておりました。
「計画からすると、いまごろはみんなあんなことをしてるんだろうなぁ...。」
なんて考えながら一晩明かしておりました。

休んでも休んでも、症状はなにも改善せず。
「こんなことなら、どんなストレスでも我慢して耐えて会社に行くようにしておけばよかった。」
と、なんど思ったか、計り知れません。
悲しさと悔しさでたまらなくなり、だれもいない畑の中でひとりで大声で暴言を吐いたりなんかもしていたと思います。

平穏になるまで時間がかかるものなのです

あっという間に2か月が過ぎましたが、心から休まることは結局なし。さらに診断書を書いていただくことになり、休職期間は延長していくこととなりました。

あとから聞くと、主治医の先生はこうなることを予想してくれていたそうです。
最初の診断時から既にわたしの性格を読み取っていたようで、こういう人に下手に長い期間の診断書を渡すと余計に不安が増長するケースが多いので、あえて2か月という短い期間に設定しておいたと。
さすが、お医者さんはプロですね。

こんな感じでしたので、心が休まって来たかなと実感できるようになったのは、休み始めてから3~4か月経ったあたりでしょうか。ほんとうに、メンタル障害の怖さを舐め切っておりました。

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