休職に至ったころとその後、思い出と反省(その3)

前回の話と被りますが、
  精神的にズタズタ状態となっていたところ、
  家族が心配してくれて仕事を中断するよう嘆願され、
  産業医の先生からも休務して心を休めるよう助言され、
  紹介された主治医の先生から適応障害との診断書をいただき、
  産業医さんが職場に取り持ってくれて、休職を決意、
という経緯で現在に至ってます。

振り返ってみれば、
こうなるまで職場はなんにもしてくれなかったんだなってことが
理解できました。
まぁ、メンバーの健康管理よりも事業を推進することの方が
重視されるのは承知してるので攻めるつもりはございませんが、
これからはこの実情を肝に据えて行動したいと思います。

ずっと私の視点から述べさせていただきましたが、
職場には職場なりの、ストレッサーにはストレッサーなりの
何らか言い分がきっとあると思います。
当時はどういう考えだったのか確かめるのは復職してからの
お楽しみですが、ひょっとしたら、
  ”職場方針の主軸とは少し離れたプロジェクトが、
  個人の勝手で進められちゃって、
  進めた本人が自分の力不足で勝手に倒れちゃった”
くらいに思われてしまってるのかもしれません。
そこまで酷くはないことを願うばかりですが。

ただ確かなのは、
仕事をしながら相互理解することが不足していた、
ということだと、いまでは反省しています。

自分自身が対人関係を築くことが非常に苦手であり、
その苦手意識を避けるよう自分の方からコミュニケーションを
取ることを知らずと躊躇っていたんだろうな、って
今では思えるようになりました。
先方も、私が懸命にやってそうなのを感じて求められるまで
余計な助けを出すのを遠慮していたのかもしれません。
それが溜まりに溜まって先方側でもストレスが増大し、
私に対してああいう態度をとったのかもしれない、と、
少し冷静になった今では考えられるようになってます。
お互いに反省点があるんでしょう。

しかし、冷静にはなれれど、思い出は忘れられず。
思い出すと苦しくなるこの気分、恨みとも感じてしまう。
これ、なんとかならないものか。。。


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