[休職中の生活]落ち着きにつれ感じる、自分の愚かさ

適応障害との格闘

休み始めた当時

前回 お話ししたとおり、休み始めた最初の段階というのはまったく心が落ち着かず、苦しんだものでした。
ただ現状の自分の姿を憂うばかりの毎日。さらに、憂いが焦りを生み出しはじめ、ネガティブな思いだけが頭の中を駆け巡っておりました。
「早くこの状態から抜け出さないと...。」

ところで、このころのわたしはいったい、何を焦っていたんでしょうかね?
焦ることも焦る必要も、何もない筈なんですけどね。

当時の心の中のギャップ

ストレッサーへの憤りの気持ちは強かったせよ、実はもっと奥深いものに対する悩みの方が支配していたものと思っています。

このときは、「理想としていた自分の姿」と「当時の自分の姿」にギャップを感じ、
またそのギャップが何日過ぎても一向に縮まらないように感じていたことで、きっと焦りが余計に増長していたものと思います。

当時感じていたこの ”理想からのギャップ” というもの、今から思えば笑ってしまうものなのですよね。
恥を忍んで正直に言っちゃいますと、心の奥底の泥臭いものでありました。頑張れど想定どおりに評価してくれないことの無念さ、出世やらに縁がない自分への寂しさ、順調に出世していく周囲の人たちへの僻みや妬み、といったところでしょうか。総じて、自分に対する不甲斐なさと言えるかと思います。

冷静に考えられなくなってしまっていた心

上記ようなこと、冷静に長い人生について考えると、まったく意味がないんですよね。
よく言われることではありますが、仕事で築くような地位や名誉やお金といった類のものなど、どれだけあったところで、たいした価値ではありません。いったん心身を壊してしまうと、何の役にも立ちません。(まぁ、お金だけはいっぱいあると、少しは心の余裕の足しになるのかもしれませんけど。)

心が病んでしまった状態では、こんな簡単なことさえ気づくこともなし。ただただ、「今までの自分は何も築けていないんじゃないか?」なんて悲観や、「築いたものをすべて失ってしまいそうだ」という憂いで、気が臥せってばかりで、まさに負のサイクル。あのときの気持ち、同じように病んでしまった方々にしかなかなか解り得ないのではないかと思います。

つまらない考えに支配され、仕事が人生のすべてであるように考えてしまっていた自分が、まことに赤面の限りです。いまはもう、仕事などほどほどにして、家族とともに健康に楽しく過ごせられることに力を費やすよう思う次第であります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました