「好きなことをして楽しむ方が勝ち!」 ~ 女装と闘病のふりかえり(05)

女装ライフ

みなさま、こんにちは。いつもブログを訪問くださり、ありがとうございます。

これまでや今後の人生を考えたり、最近の様子や思ったことなど、自由に綴らせていただいてます。前回のお話も、もしご興味あればお立ち寄りいただけましたらうれしいです。

今回ですが、一時期わたしが葛藤しておりました、こんな考え。

「女装者って、ずるいことをしてるんじゃないのかな?」

これをよ~く考えまして、わたしとしては次の結論に行き着きました。

「考えてる時間が損!、好きなことを楽しむ人が、勝者でしょっ!」

当たり前と言われればそれまでではございますが、この考えに至るまでのお話を綴らせていただきました。最後まで読んでいただけましたら、とてもうれしいです。


女装者って、ずるいのかな?

趣味として女装を楽しみはじめて、随分と時間が経ってしまいました。普段と異なる自分を装って過ごすことに、どれだけ癒され、助けられてきたことでしょうか。自分が心から楽しめる趣味に出会えたことは、この上ない幸せのように感じます。

けど、その一方、ときどきこんな考えが頭を過ってしまうのです。

「女装者って、ずるいことをしてるんじゃないのかな?」

以下、幼いころからの体験を交えて少々考えたことを述べさせていただこうと思います。が、一応その前におことわり。

以下の文章にて、一概に女性と男性で区分けしてしまってそうで、すみません。この多様化の時代にこういう視点で述べていては、違和感を持たれる方がいらっしゃるかもしれませんね。

けど、恐れ入りますが、しばしお付き合いくださいね。(^^;

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女性の世界って大変そう

さて、わたしは普段はB面で、世間一般な男性として、ごく普通の暮らしをしております。

そんな目線で感じている印象が、

「女性の世界って厳しそうだな」

ということ。わたしなどには簡単には理解し難そうな厳しい面がいっぱいありそうに察してしまうのです。

例えば、TVドラマなどでよく垣間見える、心と心の陰湿な戦い然り。
表にはあまり出さず内面どうしでのいがみ合いや、隠し持つ嫉妬と嫉妬のせめぎ合い。
これがこじれてしまうと、一生モノの憎しみ合いにまで発展してしまうことが多々あるようで...。

...ドラマの観過ぎかもしれませんね。女性のみなさま、ごめんなさい!


もちろん男性社会にもあることながら、比にならぬほど複雑な構図を催してそうに思えてしまいます。
毎日こんな世界で生きてらっしゃると、さぞかし積もるストレスに苛立つことかと、思ってしまうのです。

思い出される母親の苦労

こんなことを考えるのは、わたしのこれまでの体験が影響しているのかもしれません

実は、わたしの亡き母親のいろんな苦労を、子どものころから感じておりました。

若いころのわたしの母親は、わたしとよく似て、自分の感情を表に出すことが不得手な人。大勢の場で言いたいことを上手く伝えられず、ほとんど自分の主張をすることなく、周りの雰囲気を踏まえて、なんでも受け入れていたように思います。

一言で言うと、人付き合いが上手くない人だったのです。わたしととても、よく似た性格だったと思います。

休職生活

詳しい話はわかりませんが、わたしの子どもの頃の母親どうしの付き合いが、大変だったようです。どういう状態だったのやら、当時はかなりのストレスとして心にのしかかっていたようで、ときどき部屋でぐったりとしていたのを、覚えています。

父親の仕事の都合で、故郷から離れた遠い地に引っ越した先でのこと。知り合いもいないし、心の中をなんでも吐き合える友達も多くはできなかった様子。

また当時は父親も、平日は出張づくし、休日は遊びで、自宅はほとんどいない日々。あまり構ってあげてなかったように思います。”家事や子育てなど女性がやって当然だろっ!” 的な風潮の時代でしたからね。

なので、子ども心ながら、わたしはよく母親のことを可哀そうに感じていたものです。未だに、よくがんばっていたんだなって、届かぬ思いを寄せてしまうことがございます。

おしゃれはがんばる女性の特権?

そんな苦労をしていた母親でありますが、たまには華やかに、しっかりと ”おしゃれ” を楽しんでいましたよ。

ときどきは着飾って美しくなって、お出かけなどを楽しんでいた時間もございました。表情が晴れ晴れで、楽しそうにしておりました。
玄関でお出かけを見送っていたとき、関係ないわたしでも、見ていてなんとなく癒されたものです。もっとも、本人はもっと癒されていたことと思いますが。




以上のような幼少期の体験があるが故、おしゃれに身を包むことが、わたしにとってはいっそう特別なことのように感じられてそうです。

美を楽しむことは、苦労を重ねる女性が特別に楽しめる ”特権”。こんな印象がおそらく人一倍、根強そうに思ってしまいます。

ほんとうに女装者ってずるい?

さて、いつの間にかすっかり女装の虜となってしまった、わたし。華やかな姿に着替えて時を過ごすひとときには、この上ない開放感を感じてしまします。

こういってしまうのは勘違いなのかもしれませんが、女装という趣味を持ってしまったが故、当時の母親の気持ちが一層理解できるような気がしております。

もしも、こういうことが供養にでも繋がっているのならば、幸いにも思います。

けどもなんとなく心にひっかかるのが、先ほど件になります。女装者って、ほんとうの女性の苦労を体験することなく、女性のいちばん華やかな部分だけを楽しんでいる、そんな思いになってしまうのです。

少し悪い言葉になっちゃってすみませんが、まるで女性が築き上げた聖域に勝手に簡単に乗り込んで来ているようなもの。そして、好き放題楽しんで荒らしていくような...。

当時の母親みたいな女性に対する罪悪感とも覚えるものを感じ、

「女装者って、ずるいことをしてるんじゃないのかな?」

といった思いに繋がっていたのでした。


わたしの考え過ぎかもしれませんし、人の良すぎかもしれませんけど...。

考えるより楽しむべきですよね

しかし時間が経って、少しは冷静に考えられるようになった今。

今の考えは、このようなものにすっかり変わってしまっております。

「自分の趣味についてあれこれと考えることなんて、それだけで時間の無駄!」

考え方がまるで180度、別人のごとく変わってしまった感じでございますね。ちゃっかりしてるのだか、変わり身が早いのだか、信念がないのだか?




結論は、なんでも楽しむ方が勝ち!

こんな変化が起こったのも、やはりメンタル障害の発症経験がきっかけだったかと思います。

ほんとうに、ひとりであれこれ考えることなど、たいした意味などありませんよね。

「好きなことをして楽しむ方が勝ち!」

自分が好きなおしゃれを、自分が楽しむ。自分自身が癒されたいことをやっている。ただそれだけなのですよね。




一般の女性とまったく同じことをしているだけであり、違うことと言えば、この趣味で癒される者が少数派(マイノリティー)である、ということだけ。

逆に今思えば、単にわたしが思い上がっていただけのようにも思えてしまいます。

自分の人生にとっての主役は、自分自身でしかありません。


他人のことなどどうでもいいこと。たとえ変な目で見られようが、他人は所詮、自分のことなどほとんど見てなんかおりません。
他人には他人の人生があり、その主役はその人そのもの。
だったら気にする必要なんかありません。自分が主役であるステージで、自分が楽しめることをやり通す方が、全然価値ある人生なのだと。

ここまで思えるようになったのも、辛い日々を送ったが故のように思います。




大きな苦労をするほど大きな見返りがある...、そう信じておくようにいたします。

今の心境は、大好きな女装をできるだけいっぱい楽しんでから、生涯を終えられたらいいな、こんなところでございます。




拙い文章ながら最後まで読んでくださり、ありがとうございました。m(_ _”m)

続編もありますので、読んでくださいましたらうれしいです。

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